DPPT : WS vol.2 Writing Performance by  石田高大 「石は行きつ戻りつ、落ちそうで落ちない机のキワを好んだ」 山岡さ希子のパフォーマンスについて

DPPT : WS vol.2 Writing Performance by 石田高大 「石は行きつ戻りつ、落ちそうで落ちない机のキワを好んだ」 山岡さ希子のパフォーマンスについて

DPPTの企画には、ワークショップ、リサーチ、パフォーマンスの他に、パフォーマンスについてのテキストを残すというものもあります。この作業については、IPAMIAリサーチスタッフでもあるアーティストの石田高大も担います。2回めは、5月27日の山岡さ希子のパフォーマンス《往復する拳》について。




「石は行きつ戻りつ、落ちそうで落ちない机のキワを好んだ」 

written by 石田高大

河原に行ったとき、地面の石を拾って、その石を川に向けて投げたことある人って割にいるんじゃないかな。

僕は何度もある。家の近くの川で。投げた石たちが、川底に沈んだままなのか、川の流れでどこかに流されていったのかは分からないけど。

川の向こうに届くまで、思いっきり投げた人もいるかもしれないね。

でも、石を投げることは危なかったりもする。子どものときに公園で友達に石をなげちゃった人もいるかもしれない。大人っぽいのだと、志賀直哉の「城の崎にて」みたい、温泉のある療養地で、適当に投げた石がいもりに偶然当たって、生命を奪った罪悪感に思いを馳せる経験のある人もいるかもしれないな。

でも最近は、投げる石が見つからないこともあるんだ。

川に投げて流したいもやもやがない平和な日々とか、石を投げたいほど憎い相手もいないとか、石を投げたいと思うことがないってことではない。石がそもそもないんだ。

まず話はここから。DPPTメンバーのグループチャットにこんな連絡が来る。

山岡さ希子「パラの周辺の緑地を回りましたが、石はまったく見ることがありませんでした。とてもとても、綺麗に整地されてました。」(2024/05/14 16:04)

 

山岡さんより送られたPARA周辺の地図

山岡さんはその後、自身の住む埼玉県、寄居町の荒川にある河原の石を拾いに行ったみたい。

当日会場には16個の石が用意されていたけど、その個数にはあまり意味はないとのこと(後のディスカッションでのお話によると)。石は、「(私を)拾って」と話しかけてくれた石を選んだそうだ。

ただ、16個の石を運ぶのは簡単ではないよ。山岡さんが選んだのは手のひらに収まるサイズの小石ばかりじゃないんだ(写真をみてくれ)。当日、山岡さんはキャリーカートで家から石を運び、キャリーカートで石を持ち帰って行った。

🪨🪨🪨

山岡さんは、作中で使う石について話すとき、パレスチナの民衆蜂起インティファーダのことをよく話している。1987年、ガザで起きた抵抗運動、そこで起きたパレスチナ側による投石のこと。今回のパフォーマンスの概要は、机と机の間で石を行ったり来たりと往復させるものだったけど、タイトルは《往復する拳》だった。

16個の石は「げんこつ」でもあり、山岡さんの「身体の一部」でもある。そんな見方が含まれている気がするね。握る石がなくなれば、その手は拳へ変わるということかもしれない。

だけど、パフォーマンス中、投石が行われることはなかったんだ。

パフォーマンスは、5月27日の10時から18時まで、途切れることなく実行。正方形の机の上に16個の石が置かれていて、山岡さんは、16個の石を、2,3m離れたもう一つの正方形の机へと、ひとつひとつ運んでいく。往復しながらひとつひとつ。16個の石を運び終えると、逆に元々置いてあった方の机へとまたひとつずつ石を運んでいく。往復しながら。つまり、合計16 + 16 = 32往復だ。

この32往復を1周期と考えると、山岡さんは8時間で計44周期分の往復を行った。1周期毎に、山岡さんは壁にチョークで線を引いていた。それで44周期目とわかった。

ちょうど18時に44本目の線を山岡さんが引き、「終わります」との声で作品は終わる。(場所に時計は置いていたので、44周期目だから終わったということではなく、18時になったときに44周期目だったということだ。)合計、32往復 × 44周期 = 1408往復。

実際には、パフォーマンスの後半、落とした石に気づかず、そのまま1周期があったから、1408 – 2 = 1406 回。まぁ、2回ぐらいは誤差だけどね。

1406往復の間、山岡さんは、多様に石を扱っていた。

石を持ち、歩き、置く。何事もなく黙々と石を運ぶこともあるが、石を運ぶ途中、明らかに石を投げる素振りを見せたり、巨人ゴリアテとの戦いで投石機を左肩にかけ狙いを定めるミケランジェロのダビデ像みたい、石を肩にかけて狙いを定めていることもあった。あと、運ぶ途中でステップ踏んでるときなんかもあった気がする。ただ、石を机に向けて実際に投げることはなかった。

石を机の上に置くとき、積み重ねて置くこともあれば、机の端に円状にならべていくことも、4 × 4の形に整列させることもあった。机の上に石を置いた後、石で石を叩いたり削ったり、机を傾けて床に石を落とすなど。山岡さんは、机の端、石が落ちるか落ちないかのキワに石を置くのが好きなようで、最後の1時間は石が机の端で半分だけ乗っかった状態に並べることが多かったな。

🪨🪨🪨

この日の山岡さんは、青色の服。白に青色の格子柄の半袖シャツ、ワイドな紺色のひざ下ズボン。荒川で拾ってきた石を往復させていることもあり、僕は川を連想した。

川の中で石は揺られ、どこかに止まり、他の石にぶつかり、削れることもある。ただ、川が石をどこかに投げることはないように見える。晴れた日には。しかし、川は大雨で氾濫することもある。

人の心も、その側面があるかもしれない。日々の流れの中で小さな事象が絶えず起きてるんだ。時に激しい感情が、川の堰き止めになっていた石を押し流していくこともある。投げ飛ばすように。

これは僕が富山の治水工事の話を小さい頃からよく聞いていたからの連想かもしれないけど。

でも、普段は気にとめない小さな変化を時間をかけて鑑賞することができるのは、長時間のパフォーマンスを鑑賞する上での楽しみの1つだし、また時に起きたり起こらなかったりするアクシデントを鑑賞するのもパフォーマンスを見る楽しさなんじゃないかなって思うんだ。

もちろんカラヴァッジオの絵でも、急に大きく変わるオーケストラの曲調でも、紅白で歌詞を間違える歌手とか、つま先立ちのバレリーナとか、危機ってものは芸術全体で大事なんだろうけどね。

(とりあえず、みんな、デュレーショナルパフォーマンスは、できれば長時間鑑賞したほうがいい。いろんな瞬間に出会って、思い出が生まれるから。)

🪨🪨🪨

途中、山岡さんが傾けて、机から石が落ち、石と石が強くぶつかったときには、石が割れたんじゃないかなって思ったな。気づかず石の数が増えてるのではと不安になって机の近くへ見に行ったら、やはり16個のままだった。

机の近くに行くと、山岡さんに削った石を鼻へと近づけられた。川の石だからこその硫黄の腐卵臭。石の形にも興味が湧いて、じっくり見入ったこともあったな。山岡さんは、8時間の中で、石への愛や友情を感じるようになったとも言っていたよ。

途中、僕は寝たんだ。15時頃。パフォーマンスの始まる前に山岡さんは「横になって寝てもいい」と言っていた。僕は、鑑賞者用の座布団を抱いて寝ていた。後ほど、山岡さんがそれを見て微笑んでいたことも聞いた。

8時間のパフォーマンスの後、10分後にもうディスカッションが始まる。山岡さんは普段通り話しているし驚いた。

石を運ぶ途中で足腰の疲れは間違いなくあっただろうけど、疲れているというよりむしろ落ち着いて見えた。いつも通りの口調で、作品の制作背景のことを話している。ディスカッションで「労働」の話が出たが、山岡さんは「(これは)遊び」と言っていた。

片付けを終えて、ベンガル料理屋に夕ご飯を食べに行く。山岡さんはお昼を食べていないので、これが山岡さんのその日2回目のご飯。(このお店はPARAのスタッフで写真撮影をして下さってる内田さんの紹介のお店。ありがとうございます。)

ご飯の途中、虫など、ゲテモノ料理の話になる。山岡さんはこの日一番嫌そうな顔をしていた。僕もゲテモノ料理はあまり食べたくはないなと思った。