2019年12月に開かれた、ウルグアイの首都、モンテビデオでのパフォーマンスアートイベント「Performances en Pliegue」から、Ana Aristimuño、Noel Langone、Mariana Picart の女性の3人のアーティストたちのパフォーマンス作品の記録ビデオです。南米の文化背景、女性の葛藤が余すことなく表現されているように思います。
artist : Ana Aristimuño
title : Powerful Body
date : 11 December 2019
venue : Montevideo,Urugay
Organization : Performances en Pliegue, by Mariana Picart, Nico Spinosa, Ana Aristimuño de Olivera y Ernesto Rizzo (Espacio Cultural Tribu and Pensión Cultural Milán)
camera and Edited by Augustina Borde
この作品では、血、ラテンアメリカの地図、テープを使っています。 血は、人間としての私たちを等しくする液体であると同時に、記号に満ちたものであると考えられます。血は、その人の属性やコンディションを示し、何に支配され、何を受けついているかも証明します。ラテンアメリカには、征服によって荒廃させられた負の遺産があり、その痕跡があちらこちらに散見されます。アメリカ合衆国は、強力な身体であると同時に「壊れやすい身体」でもあり、アメリカ大陸の他の国から収奪され続けている富によって成っているのです。先住民や貧しい人々の血が流れた(今も流れ続けている)領土。それは全てを覆い、逃れられないにもかかわらず、私たちは抵抗します。身体、影響を受けるすべての身体、関係する身体、そして、私たちを決定づけ、チャレンジする時間、空間。
artist : Noel Langone
title : This is not a “glass ceiling barrier”
date : 11 December 2019
venue : Montevideo,Urugay
Organization : Performances en Pliegue, by Mariana Picart, Nico Spinosa, Ana Aristimuño de Olivera y Ernesto Rizzo (Espacio Cultural Tribu and Pensión Cultural Milán)
camera and Edited by Augustina Borde
このアクションのために私は、この空間にいくつかのエレメントを用意をしました。私はそれらと、私たちが経験している社会経済的な影響下の想像の概念を、さらに、個人に起因する様々な思いとを、結びつけました。
天窓は、古い家の特徴であるスライド式のガラス屋根にあります。その空間から「ガラスの天井」という表現でを連想しました。この有名な表現は、アメリカ人の文筆家マリリン・ローデン(1978年に執筆)によるものです。そもそもは、高学歴のおかげで仕事で高い能力を発揮しているのに、上のあり目に見えないもの、つまりガラスの天井にぶつかり昇進できない女性のキャリアを分析するために使われた概念ですが、この比喩は、すぐにマイノリティの昇進を妨げる障害物のたとえとして、広まりました。さらに私は、それを、ルネ・マグリットの”これはパイプではない” というアイデアと結びつけました。このような概念を使うことで、私は、最も物理的で具体的なものから、示唆に富む、抽象的なものまでを探求することができるアクションの方法を開発しました。
ラテンアメリカは反乱を起こしています。少数民族が路上で主張しています。何千人もの死者が出ています。人々の葛藤は押しつぶされています。それらが、ラテンアメリカの人たちの特異な身体的体験となりました。気持ちが弾けて、歌が生まれました。私は木製の釘(ruins)を使いました。コラボレーション、トランスフォーメーション、言葉のない対話が現れました。私たちは構造のある言説からではなく、出会いの儀式/ゲームによって、つながるのです。そこには、癒しがありました。ひととき、ガラスの天井が消えたかもしれません。それは、風穴を開けるものとなりました。
ラベリングからの自由を求め続ける中には、フェミニストの叫びが現れます。私は、痛みと喜びを分かち合い、自問自答し、批判的にリフレクトする場に興味があります。あなたは動き続けなくてなりません。 私たちは概念に縛られたくありません。私は子供の頃から、平等な空間を求めて戦ってきました。私はマイノリティへの抑圧に悩まされています。これらのことは、私に、存在の解放「のために」「に向かって」創造するという重要な必要性を生み出しました。
artist : Mariana Picart
title : bzzzzzzzzzzzzzzzz: alchemy of pain 痛みの錬金術
date : 11 December 2019
venue : Montevideo,Urugay
Organization : Performances en Pliegue, by Mariana Picart, Nico Spinosa, Ana Aristimuño de Olivera y Ernesto Rizzo (Espacio Cultural Tribu and Pensión Cultural Milán)
camera and Edited by Augustina Borde
マントラ、身体間に調整された呼吸は、半資本(semio-capital)の生産的プラグマティックスの接続性/互換性の力学とは異なる構成のアイデアを参照している(ディエゴ・スチュワルクDiego Sztuhwarkのテキスト「The uprising as a political theory of the body」、フランコ・ベラルディFranco Berardi(Bifo)のテキスト「The uprising」へのプロローグより引用)。
ここ数年、私はある病気と共存してきました。そのために、私の身体に体系的に投げつけられるヘゲモニー的な言説とその実践の持続不可能な論理を知ることになりました。身体は、身体、限界、形を保つために、様々な形や色の薬を摂取する必要があります。
これらの実践は、断片化された、痛みを伴う、麻酔をかけられた身体などを生み出す。このように、私の儀式的なパフォーマンスでは、踏みつけたり、マッサージをしたり、私の単一のマントラを発したりするような行為から、個人的、集団的な痛み、身体の悲しい情動を、脱術的、錬金術的に変換しようとしています。
そこには、創造の可能性を開く、その存在と痛みにおけるその身体の関係があります。このようにして、私は主観的な2つの間、間主観的に生成する折り目(folds)に、生きるつもりです。このようにして、一瞬一瞬を生き、時間のその過程そのものを開くことで、社会の持つ決められた構図からの逃れることを可能にすると考えます。