DPPT : WS vol.3 Writing Performance by 平岡希望『みずから回る輪【第2部】』北山聖子《閉て開け (たてあけ)Close / Open》+山岡さ希子《往復する拳 vol.2  Fists Going and Forth》について

DPPT : WS vol.3 Writing Performance by 平岡希望『みずから回る輪【第2部】』北山聖子《閉て開け (たてあけ)Close / Open》+山岡さ希子《往復する拳 vol.2 Fists Going and Forth》について

2024年6月15日(土)の北山聖子と山岡さ希子による、神保町PARA共有部A+Bでの、8時間のパフォーマンスについて、DPPTメンバーの平岡希望が書きました。以下のイベントです。

DPPT : WS vol.3 Performance by 北山聖子《閉て開け (たてあけ)Close / Open》+山岡さ希子《往復する拳 Fists Going and Forth 》
第3回ワークショップ プレゼンター:北山聖子、山岡さ希子    2024年6月15日(土) パフォーマンス 10:00~18:00 (2人は別々のパフォーマンス…
ipamia.net

written by 平岡希望

山岡さ希子さんがチョークで「|」を引いている。しかしそれは黒い壁ではなく木製の仮設壁の表面で、《往復する拳 vol.2》と題された今回も、ふたつのテーブルの間で石をひたすら運び続けていた (前回については『みずから回る輪【第1部】』を参照)。しかし、それらテーブル間の距離が片道7、8歩に伸びている (前回は5、6歩だった) のは、ここが同じ「PARA神保町 2F」でありながら空間の使い方が違うからだ、今回は前回よりも2倍近く広い。
それも、PARAが「美学校」とビル2階のワンフロアをシェアしているからで、出入り口から見て右手奥が美学校の、左の窓辺がPARAの専有部となっているのに対し、中央のエリアは共有部として双方が融通し合っている。前回の山岡さん (および前々回の石田高大さん) のパフォーマンスでは主にPARA専有部を使っていたのだが、今回は中央の共有スペースをパフォーマンスエリアとして使っていて、5組10枚横並びになった窓 (正確には6組12枚だが、内1組は仮設壁で見えなくなっている)とほぼ平行に、2台のテーブルは配されている。

そして右のテーブルには石が広げられているのだが、前回、16個だった石は30個に増やされている (だから、“額縁” に並べるとギュウギュウだ)。と言ってもここに前回の石は無い。山岡さんはそれらを、拾ってきた埼玉県寄居町の玉淀、荒川中流域の河原へ返しに行き、また別の石を今回のために同地で集めたようだ。
玉淀で集めた石をPARAまで持ってきて (たしか、新聞紙に包んで段ボールへ入れ、それをキャリーカートに縛り付けていた)、また持って帰る、そして川に返す…というこの一連の動きを鑑みると、《往復する拳》というタイトルには、単にテーブル上を行き来するということだけでなく、川からやってきた石が、川へと帰っていく一連の “旅路” が含意されているのかもしれない。
そして、「往復」「旅路」という言葉はDurational Performance (以下、DPと表記) それ自体とも通じる。

「ブラックマーケット・インターナショナル (BMI)」という、1985年に設立されたパフォーマンス・アート・コレクティブがあるのだが(https://ipamia.net/black-market-international)、その中心的メンバーであるユルゲン・フリッツ (Jürgen Fritz) さんは、トーク『ブラックマーケットインターナショナルの20年』(東京ドイツ文化センター, 2005年10月10日) において、「『BMI』のパフォーマンスは4時間かそれ以上かかる」と言っている (以降は、山岡さんからもらった当時の邦訳記録に基づく)。それは、彼らのパフォーマンスにおいて、パフォーマー・観客双方が、

① “準備” ― パフォーマーであれば様々な動きを試す、観客であれば色々な位置から眺めるなど、パフォーマンスの中に入り込もうとする (普段の時間から離れようとする) 段階。

② “危機” ― 疲れや迷い、飽きを感じる段階。ここでパフォーマンスが終わる可能性もある。

③ “深化” ― 集中力が増し、“本当の” パフォーマンスが駆動しはじめる (そして時間感覚が変容する) 段階。

④ “帰還” ― 集中が解けていく最終段階。

という4つの段階を経るからだそうだ。
それはあたかも神話、さらには『指輪物語』や『スター・ウォーズ』といった数々の “行きて帰りし物語” が辿る「出立→試練→帰還」の軌跡と重なるが、もちろん、これらの過程は一方通行で進展していくわけではないだろう。ここにも “行ったり来たり” があるはずだが、そうした波を肌で感じる (そして肌にそのリズムが残る) ことが、DPを見る面白さのひとつだ。

山岡さんが石を運びはじめて10分、ちょうど30個の石を右から左へ運び終えた頃になると、それまでソファーで見ていた北山聖子さんは立ち上がってゆっくりと奥の窓辺へ向かう。そして一番左の窓に両手をかけて、“7” の字みたいに静止している…と思いきや、音もなく窓が開き始める。2~3分かけて開け放たれた窓からは、路地を挟んだ向かいの窓が覗く。同様に開けた右隣りの窓からは、タイル状の外壁、日差しを受けて紫がかった薄い灰色となったそこに点々と配された換気口が現れる。
《閉て開け (たてあけ)》はこうして始まったが、5つの窓を、左から窓①、窓②…と名付けていけば、ここまでの動きは〈①左開〉→〈②左開〉で、これは2枚1組の各窓の内、左側を開けたことを意味する。そしてこの後も2〜3分のリズムで〈③左開〉→〈④左開〉→〈⑤左開〉と続き、北山さんは窓⑤から手を出し、そして下を見回す。ここまでで10時27分、山岡さんは手の上でぽんぽんと石をお手玉している。

「開くことで変化する内側の空間や空気の入れ替わりを楽しんでいました。」(https://ipamia.net/dppt-ws-vol-3-performance-by-kitayama-yamaoka/)という言葉は、北山さんが《開く Open》(2018) という別の (しかし関連した) パフォーマンスについて語ったものだ。ポートフォリオサイトで記録写真を見れば (https://seikokitayama.com/performance-2/)、古式ゆかしい日本家屋でありつつ、天井の高いアトリエを備えた「旧 平櫛田中邸アトリエ」、その窓、扉、障子、戸棚…が開け放たれていったようで、翻って、PARAの窓からもやわらかな風が流れてくる。
そして開けることは “暴く” ことでもあって、アトリエの戸棚、すりガラス越しに資料と思しき影が見えるが、北山さんによって開かれていくその隙間から中身が少し覗いていて、PARAの窓も、すべて開いてしまえば向かいの壁が迫ってくるようだ。
この日は全体的に曇りだったが、時折、晴れ間が訪れた。特に、12時頃には眩いほどで、換気口がつららのような影を落とす壁、そこからの反射でPARAのすりガラスも白く発光していた。
壁の反射はそこからだんだんと落ち着いていったが、それは翳りというより角度の問題で、14時頃から、今度はPARAの床がぼんやりと白くなっていった (その光を遮るように、〈③左閉〉→〈④左閉〉→〈②左閉〉と北山さんが動く)。そして15時半を過ぎた頃には、窓の隙間からくっきりとした光線が左奥から右手前へ伸びたが、2台のテーブルを行き交う山岡さんの足元までは届かなかった。

日差しを受けた壁は、かすかに紫がかった薄い灰色に輝いた。17時を過ぎると紫に近い藤色へ落ち着いていったが、《Calling for the shadows》(2020,https://www.youtube.com/watch?v=NNPxVI4O-RQ) において、横浜「瀬谷市民の森」内の法面へ寄り掛かるように立った北山さんは、右手に持ったベルを振って影を呼ぶ。
鳴り続ける鈴の音に呼応するように、木立の影が、冬っぽい透明な木漏れ日と共に法面を染めてはいなくなり、また現れては消え、最後には、弱々しい光がかろうじてその “スクリーン” を撫でるが、PARAにおいても、向かいの壁はスクリーンで、窓は、その前に下ろされた幕でもあった。

photo by Kina Yohei 喜納洋平

そして10時31分、今度は〈⑤左閉〉→〈④左閉〉→〈③左閉〉…と、また2~3分かけて閉め始める。開ける時は、窓に対して右横に立ち、両腕を伸ばした姿勢が数字の “7” みたいだったが、閉める時は窓の正面に立ち、両腕をL字に曲げて、桟にそれぞれ手を添えていた。窓①を閉め切ったのは10時41分、北山さんは近くの椅子に掛け、山岡さんを見ている。風の流れが止み、すこしだけ暑い。

《花が咲き、萎むのを待つ Waiting For Flowers》(2022) において、深夜2時から14時までの12時間にわたって、鉢植えの花の開き具合に応じてカーテンが開け閉めされたように、開く→閉じるサイクルは1日のリズムを連想させる。
しかし、開けては、眺め、閉めては、眺め…と “休止” を挟みつつゆったりと流れていた時間は11時20分頃からにわかに早まって北山さんは窓③の右側を開けると④⑤②①④⑤と続けざまに開けては閉めてを繰り返して75回を過ぎた11時32分頃にようやく手を止めた。

窓③と④の左側が開き、①②⑤は “閉まって” いるが、左右あべこべに閉められたそれらは錠の分だけ細く開いていて、小さい頃、窓を開けたり閉めたりして、あるいは横倒しの自転車のペダルを手で回したりして遊んだことを思い出したが、その面白さのひとつは音だった。素早く開け閉めされてカラカラ…と小気味よい音を立てる窓もあれば、ガッガッと建て付けの悪いものもあったが、間断なく響くそれらは音楽でもあり、北山さんは奏者だった。
これまでのDPにおいても音は重要で、石田さんは積み上げたサイコロの上に、バンッ!とお椀を被せた。そして山岡さんも、石をテーブルに叩きつけたり、天板を引っかいたりしていたが、“奏者” と “楽器” の関係性で言えば、北山さんと窓は、“オルガン奏者とパイプオルガン” に喩えられるかもしれない。(ごく単純に言えば) 風の通り道を開け閉めすることでパイプオルガンを奏でる奏者の、しかし顔は見えない。

窓を閉て開きしている北山さんも、その背中を見ることしかできない。《 影を追いかける Chasing a Shadow》(2021, https://www.youtube.com/watch?v=EbZQiN4vQnA&t=397s) でも、日の出から日の入りまで、太陽を背に歩き続ける北山さんをもし追いかけることができたとして、おそらく顔は見られないし (前から見ても、俯いた視線は影へと注がれているはずだ)、5月に行われた《太陽に向かって輪ゴムを打つ Shooting a Rubber Band Toward the Sun》(https://ipamia.net/dppt-tamagawa-writing-performance-by-hiraoka/「第二部」) でも、目深にかぶった黒い帽子で、目元は日差しから守られていた。
4月の玉川上水でも、北山さんは《木を抱く Holding a Tree》というタイトルの通り、2時間にわたって蛹のごとく倒木に抱きついていたが、それは対岸からしか見えなくて、これは全くの想像だが、北山さんには、私性を超えて景色になりたいという “欲望” があるのかもしれない。目が合うということは私と私が出会うことで、景色をまなざしても見返されることはない。
11時37分、北山さんは〈⑤左開〉→〈同左閉〉→〈同右開〉→〈同右閉〉→〈同左開〉…と、ひとつの窓を各40回ほど開け閉めした。

そう考えると山岡さんは対照的だ。《往復する拳 vol.2》でも “vol.1” でも、石を運びながら観客やメンバーをよく観察していて、時に目が合う。「(テーブル上の石を) 撮ってください」と周囲に注意を促すことや、「(窓を) 開けてもいいですよ」と観客に窓を開けさせることもあった (〈①右開〉)。これは、山岡さんと佐野佳子さんによる共同のトーク企画『爆睡蓮』(https://paratheater.com/3b48e3b2ce97471ea6bf435b02f79702) で聞いたことだが、山岡さんは「街ですれ違うだけの人にも興味がある」らしい。
むしろ山岡さんは、私と私の出会いを志向しているのかもしれない。石を運ぶという行為も、石を知るための手立てという面があって、“vol.1” の【復26】において、山岡さんは一つの石を指して「Monkey」と言った。そして「ヒヨコ」に喩えたものもあって、8時間の中で石は個性化されていった。

窓の場合は、むしろ “劣化” によって個性化されていく。というのも、繰り返し開け閉めする中でだんだんと建て付けが悪くなっていって、窓①にいたっては一度跳ねた。固くなったそれを開けようと北山さんが左側から力いっぱい引いた時のことで、ガタガタッという音と共に開いたものの、窓の框が枠の中で上下にバウンドしたことが残像のように目に焼きつく。13時頃のことだった。
長時間、同じ動作を持続したり反復したりするDPにはこのように “耐久試験” 的な様相がある。石田さんの時も、計8時間にわたるパフォーマンスの中、6時間経過したあたりでプラスチック製のお椀の底が抜けた。そして今回の《往復する拳 vol.2》においても、当初30個だった石は12時半前には33個に増えていて、脆いひとつが割れ始めていたようだ。15時半頃になると、山岡さんは環状に並べた石の真ん中に “脆い石” を置き、直径20cmほどの一番大きな石でそれを打ち据えた。砂状になったそれを、以降は両手を器にして運び、そして石の上から振りかけた。

16時半頃、北山さんは窓①の左側をほんの少し開けたと思うと、同様に窓②も開けた。そして③も少し開け、④⑤①②③…と繰り返すことで、最終的に5つの窓全てを全開にした。
〈④左4/5開〉→〈③左半開〉→〈②左半閉〉…という、〈開〉と〈閉〉、すなわち “1” と “0” だけでは表わせない動きが現れ始めたのは12時頃だったが、それに驚いたのは、やはり2時間見続けていたからだろう。DPの、繰り返し確かめるようなその手つきの中には、時間や、物理法則といったものを一旦忘却し、見つけ直そうとする試みがあり、それは、クッキーの車を繰り返し走らせ、おもちゃの踏切を何度も握る中で、「壊れる」という概念を発見していった友人夫婦の赤ん坊・Nちゃんの姿とも重なる。

「幼子は無垢だ。忘れる。新たな始まりだ。遊ぶ。みずから回る輪だ。最初の運動だ。聖なる『然りを言うこと』だ。
そうだ、わが兄弟たちよ。創造という遊びのためには、聖なる『然りを言うこと』が必要だ。ここで精神は自分の意志を意志する。世界から見捨てられていた者が、自分の世界を獲得する。」(『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中・訳, 河出文庫, p.42)

“往復する拳 vol.1” のディスカッションにおいて山岡さんが言った「遊び」とは、“幼子の遊び” のことなのかも知れない。

隣り合う幼児ふたり、そのひとり遊びが時に交錯するように、13時前、北山さんは石をひとつ運んだ。そして、山岡さんがバンッと石を叩きつけるのに合わせて窓を閉め、その “セッション” はしばらく続いた。16時40分過ぎには、山岡さんも〈①右半開〉とやり返して、ふたりは一緒に石を運び、テーブルに叩きつけ鳴らす。
《Stand/Laydown》において、互いの様子を窺いながら体勢を入れ替えていったように、山岡さんの視線を受けて北山さんは窓⑤を閉める。18時2分。木製の仮設壁には24本目の「|」が既に刻まれていた。

photo by Kina Yohei 喜納洋平