ipamia event 11 :  80~90年代のパフォーマンスアートを語る!?

ipamia event 11 : 80~90年代のパフォーマンスアートを語る!?

IPAMIAでは、2022年プロジェクトとして、オーラル・ヒストリー・プロジェクトとして、1980年代からパフォーマンスアートの活動をしてきたアーティストや関係者の方々のインタビューを行ってきました。本年は5人の方がインタビューに応じていただき、現在それらの書き起こし原稿を制作中です。そして、この年の瀬12月のイベントは、総括としてリサーチは途中ではありますが、進捗を紹介し、かつ、インタビューに応じていただいた方々を招いて、座談会をしていただき、観客席からの質問なども含め、そうしたセッションの中から、何か証言やエピソードが出たら、期待するものです。

席が満席になったため、ご予約は打ち切ります。ありがとうございました。

会場:サブテレニアン  東京都板橋区氷川町 46-4 B1F 
https://www.subterranean.jp  東武東上線大山駅北口から徒歩 7 分
                                                  都営三田線板橋区役所前駅から徒歩3分
入場料 : ¥1000 (1ドリンク、2杯目からは有料)

問い合わせ:ipamiarchive@gmail.com
主催 : Independent Performance Artists’ Moving Images Archive (IPAMIA)
助成 : 小笠原敏晶記念財団

 

⏣ ゲストプロフィール
荒井真一 1959年、富山市生まれ・東京在住。都立大学で中国文学、美学校で銅版画と現代美術を学びつつ、パンクバンド「赤木電気」に参加。サックスを吹くが音楽を作るというより、浴衣の着流か、あるいは裸同然の格好で、阿鼻叫喚を作っていた。1987年にNY滞在中のサエグサユキオ氏と「現場の力」を結成、この辺りから「パフォーマンス・アート」と呼べるものになってきたかもしれない。90年代後半ごろからソロで活動。中国や東南アジアのパフォーマンスアートフェスティバルにて、《Happy Japan!》などの代表作を生み出す。天皇制や食のグローバル化などをテーマにし、過剰に身体を露出するなどの挑発的なアクションを行うため、国内ではイベントから時に排除され、Youtubeアカウントは閉鎖された。
1983年 「赤木電気」として出演(「天国注射の昼」日比谷野外音楽堂/東京)
1989年《昭和大噪/昭和大喪に抗して》+園田佐登志 (早稲田奉仕園/東京)
1992〜1994年青年海外協力隊に参加
1995年《敗戦50年》「現場の力」として(ピース大阪/大阪)
2000年《Happy Japan! 》(Open Art Platform Performance Art Festival /北京)
2006年、2008年 「大東亜共栄軒」と「小東亜共栄軒」を企画(富山、東京、名古屋)アジアのアーティストたちを招待する。
2015年 《Happy Abe Regime!》 (バンコク、マカオ、チェンマイなどにて)
2023年「小東亜屋台 2023」企画 (ジャングルジム/東京)
 
谷川まり 1963年三重県鈴鹿市に生まれ、三重、山梨、静岡で育つ・横浜在住。静岡の私立高校を卒業後、地元の自然保護運動、反原発運動、インディーズの芸術活動に触れ、1983年セツモードセミナーにてドローイングを学びながら、東京のパフォーマンスシーンに触れる。実験的な1人オペレッタを目指してきた。1984年よりソロパフォーマンスを行い、国内外の即興イベント、フェスティバルに多数参加。《泥の子供・ジャミラ》《ナタナエル》《夢のパン工場》が代表作。 2008年の自主企画「森と森が出会う場所」を最後にパフォーマンスアートの活動を休止。2009年より整体、アレクサンダーテクニークを学び、ボディケアの仕事をしている。
1984年 「土湯温泉パフォーマンス&シンポジウム」参加 (土湯温泉/福島)
1985年〜 「21分間連鎖行為芸術祭」「公民館運動」「おとなしい人たち」など、公共各所施設での企画に参加 (東京)
1991年 《fruit rouge〜赤果実〜》「田島パフォーマンス・アート・フェスティバル」(福島)
1999〜2005年 「NIPAF」に参加。《ヨッカナイ・ベナタン》など、「NIPAFアジア連続展」にて発表する。(東京、他)
1999 《まりの傷だらけの人生》「ニパフ・ポーランドツアー」(サンドミェシュ・ルブリン・クラコフ/ポーランド)
2001年 《夢のパン工場》「越境する女展21」 (Women’s Art Network企画、 代官山ヒルサイドフォーラム/東京)
2005年 《私と一緒に歩いてください》「横浜港湾借景行為表現計画」(横浜トリエンナーレ応援企画)
2008年 企画および出演「MORI森~森と森が出会う場所」(「ギグメンタ2008」美学校企画/東京)
 
西島一洋 1952年、名古屋生まれ・在住。1968年一生の職業を絵かきと決め制作を始める。1969年より名称不能行為を断続的に続ける。70年代から80年代にかけて、複数の美術誌を発行し、名古屋の芸術家たちと交流。この頃、生涯の「行為」の相棒となる鉄球に出会う。福井の原発内の浜に打ち上げられていた。1988年、西島一洋、林裕己、関智生の3人で「体現集団φアエッタ」を創始、現場行為による活動を本格的に始める。以後、精力的に名古屋の様々な屋内外で「行為」を続ける。「φアエッタ」は場の生成が重要であり、行為者とそれを見ている人たちは同じ地平である。90年代はソロの活動も増える。鉄球に「アヒンサ(非殺生)」というインドの思想から得た名前をつけ、しばしば行動を共にする。また、自身の様々な神秘体験から、インスピレーションを得ている。
1988 年 体現集団φアエッタ《割礼・蓑虫割皮の儀》(EDラボ/西春 名古屋)
1989年 体現集団φアエッタ《尻プレス版画》(ラブコレクションギャラリー/名古屋)
1989~93年 体現集団φアエッタ《浅井ますお追悼儀式01~03》(天竜川河口海岸、静岡、岩倉~瀬戸陶土掘り出し跡、岩田洗心館/犬山)
1993~98年 《非殺生体現行為》(パルコギャラリー/岐阜、ピースおおさか/大阪、留学生宿舎屋上/名古屋、フランス、香港、マカオ、他)
1995~2000年 《孑孑彷徨変異》(岩田洗心館/犬山、名古屋、広島、東京、アメリカ各地の路上)
1997年 「行為の現場から/行為∞思考」企画 参加作家14名(ガレリア・フィナルテ/名古屋)
1998~2007年 名古屋NIPAFでの公演をコーディネート
2022年 「行為の現場から/行為∞思考Ⅱ今をつくるモノ&コト」(パルル/名古屋)
 
丸山常生 1956年、東京生まれ・在住。プロセスアートの志向に惹かれ、1979年から「都市におけるフィールドワーク」をキーコンセプトに、インスタレーション・アクション・ドローイング・映像など多様な方法、メディアで発表。様々な状況下における環境を、モノ・情報・眼差しなど膨大なエネルギーが流れる通過場としてフレーミングし、そこから人の活動や自然現象の「痕跡=記憶」をあぶり出し、私たちの「生きる場」の再編成を構想。観客と現場を共にするパフォーマンス・アートは1982年から始め、2000年代以降、造形的空間と身体的行為を統合した「インスタラクション (install-action)」と称する方法として活動中。
1982年 「Fine Art Presentation ペパーミントグリーン」 (Plan B/東京)
1988年 「大谷地下美術展」(大谷地下採掘場跡/栃木)
1991年 「いわきアートセレブレーション」(いわき市美術館/福島)
1996年 「Performance et Tele Interactive 」(ル・リュー/ケベックシティ、カナダ)
2000年 「パフォーマンス・アート!」(東京芸術大学 陳列館/東京)
2003年 「Blank Map – パフォーマンス・アートをトレースする」企画(exhibit LIVE/東京)
2022年 「Open The Door A Window」 (ケルン・ミュルハイム文化センター/ケルン、ドイツ)
 
松永康(アート・コーディネーター)1957年、埼玉県生まれ・在住。1981年、武蔵野美術大学卒業。埼玉県立近代美術館学芸員、国際芸術センター青森総括主任学芸員、横浜美術短期大学(現・横浜美術大学)非常勤講師、井(Jin)ART画廊(上海)芸術監督を経て、現在、NPO法人コンテンポラリーアートジャパン理事、武蔵野美術大学非常勤講師。2020年より「さいたま国際芸術祭」市民プロジェクト・キュレーター。
1986 「池田一展」 トーク・タイム出席、塩田純一と(ギャラリーなつか/東京)
1990 「田島パフォーマンス・フェスティバル」 トーク 柴田百合子と(会津田島/福島)
「第5回プサン・ビエンナーレ」日本地域作家選定委員
1995 「世界のパフォーマンス・アート映像展」シンポジウム・パネリスト 片岡真実、飯村隆彦、霜田誠二と(東京都写真美術館ホール)
1997 「パフォーマンスと記録」企画 霜田誠二、浜田剛爾、折元立身(埼玉県立近代美術館)
1998 「ウォルミド行為芸術祭」セミナー・パネリスト ソン・ワンキョン、張晴、ハ・ソッキョンと (ウォルミド/韓国)
1999 公開講座「身体から見た宇宙」(埼玉大学)で「日本のパフォーマンス-その受容と展開」講演
2013 「浜田剛爾展-西部講堂1989-1993」長谷川六トーク聞き手 (.kiten/東京)